この米は、明治二十二年、山口市小鯖の伊藤音市さんが、兵庫県から伝わった稲の品種改良に成功し、誕生したのが「穀良都」です。
以来優秀な山口米として、明治末から昭和初期にかけ西日本一帯や朝鮮半島で栽培され、昭和天皇即位の際には献穀米になった由緒ある品種だったが、新品種が次々登場し、また、稲穂が高く、栽培に手数が掛かるため戦後は次第に栽培されなくなり、幻の米となっていた。
昭和初期に出版された酒造解説書『清酒製造精義』に、「穀良都」が酒米として「亀ノ尾」や「山田穂」(「山田錦」の一代前)と同等に優秀な酒造好適米と評価されており、興味深い米として、山口県農業試験所と、山口県産業技術センターにより、山口県の酒米としてよみがえった。
当初は、この米を使用する際は、「長州浪漫」の名称で一定の企画のもとで製造販売しなくてはならないという規定があり、県内10社の共同銘柄としての発売を義務付けられた。
永山酒造合名会社の永山社長は、個性化を求められる地酒市場において、共同銘柄は時代錯誤と、それに強く反発したが種籾の量に限りがある幻の米だけに、公平に県内の酒蔵に供給するためには止むを得ない配慮であると納得し、「長州浪漫」に参加することとなった。
数量も十分確保出来るようになった平成14年春。
ようやく規定が解除され商品企画が自由になった。
いよいよ、「山猿」の誕生である。
香りは抑え目で秋から味が乗ってくるタイプ。
やや辛口。
芳醇にして馥郁たる味わいでありながら、高級酒に大切なキレの良さを併せ持つ、ほかのお酒との違いが分かりやすい美味い酒となっている。